ウィステリア城 主の部屋
な、なんだか主というと偉そうに聞こえますが、
ごくごく平凡な人間のごくごく普通の日記…のはず。
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コツコツ。
お久しぶりです。
最近は、自分のやるべきことが分からない…という状態に時々なってます。
やりたいことは次々に出てくるんです。
でも、かかるだろう時間を考えて尻込みしてしまうという。
これも悪い癖です。
中学の頃、私は先生の手を物凄く焼かせる生徒で、まともに授業を聞いてもいなければノートも取ってませんでした。
宿題もやってこないタイプで、うちの学校の場合、さぼればさぼるほど溜まっていくシステムだったんです。
例えば「1日漢字1ページ」。
今考えても非効率的な勉強の代表たるものに思えちゃったりもするんだけど(人それぞれ、暗記しやすい方法は違うんだから…)。
大体、1ページの文字数も指定せずに(好きな文字数でOK)何が1日1ページだと思ったもんです。
それを、学期末に清算しなきゃいけないんですね。
「藤咲さんは漢字を53ページ書いてきてください」とか言われます。
試しに6行のノートの1行を書いてみる…………………3分かかった。
ということは、1ページにかかる時間は18分。
ということは、53ページ書くのにかかる時間は954分=15.9時間(約16時間)。
私の場合、漢字は3回ほど「必要と思って使う」と覚えるもので「書く」だけじゃ何度やっても覚えないんです。
結局覚えないのに、16時間も漢字を延々と書き続ける。
ほら、時間の無駄使いに思えてきません?
何のための宿題(勉強)だって話ですよ。
『スキルを上げるため』
それが第一でしょう?
『約束を守る癖をつけるため』
それが第二(もしかしたら第一)にあるのかもしれないけど、スキルアップの(この場合漢字を記憶する)方法について相談も了承も一切ない一方的な約束を守れ、守らなければペナルティだと脅してくるのがまずおかしいと思うんです。
『協調性を身につけるため』
『毎日コツコツ勉強する癖をつけるため』
「1日漢字1ページの理由」はそんな所でしょうか。
私は、結果を出さなきゃ意味が無いと思ってたし、何とか結果を出せたから今の私が在ると思ってます。
その「結果を出す」過程において、「1日漢字1ページ」というのはマイナスにしか働かなかったっていうか…
本当に、貴重な時間を奪われたという感覚しかなくて、その時間があればもっと効率的に勉強をして成績をあげれたかもしれないのにな、と残念に思うんです。
でも結果(学問の知識)を求められるのは、高校入試や大学入試などの学問関係の試験だけなんですよね。
協調性を身につける。
毎日コツコツやる癖をつける。
誰かが(効率関係なく)勝手に決めたことでも文句を言わずにこなせるようになる。
そういうのこそ、社会が求めてるスキルなんです。
私が昔から嫌ってたのはそういう生々しい大人の世界の匂いかもしれない。
そしてそういう卑怯で浅はかな大人達の洗脳というか作戦にまるで気付いてないような顔で同級生達が毎日「漢字を書いてください」と言ってくるのが、大人にまんまと乗せられてる子供のようで嫌でした。
学問の世界と一般社会、どちらがシビアに「正しいことを考える能力」を求められるかと問われれば、それは学問の世界だと思います。そりゃもうビシバシ鍛えられてきましたとも。
馴れ合いと権力の関係で、社会に居る人間は立場によっては「間違い」が許される。
その辺りが学問の世界と違って甘いんです。
試験と同じように、「間違い」は立場に関係なく×を貰うべきなのに。
なーんかそういう空気が、国会の「考え方」まで歪ませてる気がする。
『結果こそ全てなんて間違い、その過程が大事』という言葉に、大人は甘えちゃダメでしょう。
「1日漢字1ページ」は、「社会にとって都合の良い人間を作るため」じゃなくて、先生達が心から「今から理不尽で間違いだらけの社会に慣れる訓練をしておかなければ、後々辛いことになる(そしてそれで漢字を覚えられればラッキー)」と私達を思いやって課していたものかもしれません。
だったとしても、貴重な子供時代の時間を潰しまくってまで教えるべき価値観なのかは疑問が残るけど。
……あ、でも今、苦労してることが一つだけあるんです。
「コツコツ」ができないこと。
んー…漢字を毎日書いてれば違ったのかな。
でもこれは面倒というか、『これからかかる時間』の長さが大体分かると怖くなってしまうというものなんですよね。
時を徒に進めるのが怖くて踏み出せない。
でも実は躊躇してる時間のほうが実は長かったりして……?(←)
ああっ、何か文句だらけの日記になってしまいました。久しぶりなのに。
近いうちに楽しい日記を書こう。
最近は、自分のやるべきことが分からない…という状態に時々なってます。
やりたいことは次々に出てくるんです。
でも、かかるだろう時間を考えて尻込みしてしまうという。
これも悪い癖です。
中学の頃、私は先生の手を物凄く焼かせる生徒で、まともに授業を聞いてもいなければノートも取ってませんでした。
宿題もやってこないタイプで、うちの学校の場合、さぼればさぼるほど溜まっていくシステムだったんです。
例えば「1日漢字1ページ」。
今考えても非効率的な勉強の代表たるものに思えちゃったりもするんだけど(人それぞれ、暗記しやすい方法は違うんだから…)。
大体、1ページの文字数も指定せずに(好きな文字数でOK)何が1日1ページだと思ったもんです。
それを、学期末に清算しなきゃいけないんですね。
「藤咲さんは漢字を53ページ書いてきてください」とか言われます。
試しに6行のノートの1行を書いてみる…………………3分かかった。
ということは、1ページにかかる時間は18分。
ということは、53ページ書くのにかかる時間は954分=15.9時間(約16時間)。
私の場合、漢字は3回ほど「必要と思って使う」と覚えるもので「書く」だけじゃ何度やっても覚えないんです。
結局覚えないのに、16時間も漢字を延々と書き続ける。
ほら、時間の無駄使いに思えてきません?
何のための宿題(勉強)だって話ですよ。
『スキルを上げるため』
それが第一でしょう?
『約束を守る癖をつけるため』
それが第二(もしかしたら第一)にあるのかもしれないけど、スキルアップの(この場合漢字を記憶する)方法について相談も了承も一切ない一方的な約束を守れ、守らなければペナルティだと脅してくるのがまずおかしいと思うんです。
『協調性を身につけるため』
『毎日コツコツ勉強する癖をつけるため』
「1日漢字1ページの理由」はそんな所でしょうか。
私は、結果を出さなきゃ意味が無いと思ってたし、何とか結果を出せたから今の私が在ると思ってます。
その「結果を出す」過程において、「1日漢字1ページ」というのはマイナスにしか働かなかったっていうか…
本当に、貴重な時間を奪われたという感覚しかなくて、その時間があればもっと効率的に勉強をして成績をあげれたかもしれないのにな、と残念に思うんです。
でも結果(学問の知識)を求められるのは、高校入試や大学入試などの学問関係の試験だけなんですよね。
協調性を身につける。
毎日コツコツやる癖をつける。
誰かが(効率関係なく)勝手に決めたことでも文句を言わずにこなせるようになる。
そういうのこそ、社会が求めてるスキルなんです。
私が昔から嫌ってたのはそういう生々しい大人の世界の匂いかもしれない。
そしてそういう卑怯で浅はかな大人達の洗脳というか作戦にまるで気付いてないような顔で同級生達が毎日「漢字を書いてください」と言ってくるのが、大人にまんまと乗せられてる子供のようで嫌でした。
学問の世界と一般社会、どちらがシビアに「正しいことを考える能力」を求められるかと問われれば、それは学問の世界だと思います。そりゃもうビシバシ鍛えられてきましたとも。
馴れ合いと権力の関係で、社会に居る人間は立場によっては「間違い」が許される。
その辺りが学問の世界と違って甘いんです。
試験と同じように、「間違い」は立場に関係なく×を貰うべきなのに。
なーんかそういう空気が、国会の「考え方」まで歪ませてる気がする。
『結果こそ全てなんて間違い、その過程が大事』という言葉に、大人は甘えちゃダメでしょう。
「1日漢字1ページ」は、「社会にとって都合の良い人間を作るため」じゃなくて、先生達が心から「今から理不尽で間違いだらけの社会に慣れる訓練をしておかなければ、後々辛いことになる(そしてそれで漢字を覚えられればラッキー)」と私達を思いやって課していたものかもしれません。
だったとしても、貴重な子供時代の時間を潰しまくってまで教えるべき価値観なのかは疑問が残るけど。
……あ、でも今、苦労してることが一つだけあるんです。
「コツコツ」ができないこと。
んー…漢字を毎日書いてれば違ったのかな。
でもこれは面倒というか、『これからかかる時間』の長さが大体分かると怖くなってしまうというものなんですよね。
時を徒に進めるのが怖くて踏み出せない。
でも実は躊躇してる時間のほうが実は長かったりして……?(←)
ああっ、何か文句だらけの日記になってしまいました。久しぶりなのに。
近いうちに楽しい日記を書こう。
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HN:
藤咲紫亜
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非公開